どうも。コンカズ (@konkazuk) と申します。
今回紹介する書籍は、2022年にミシマ社から出版された「中学生から知りたいウクライナのこと」。

著者の二人はどちらも歴史学者ですが、専門はウクライナではありません。そのため、ウクライナを外側からの視点で解説する部分も多く、読者としては親しみを感じながら彼らの講義を読むことができます。
この本が書かれた目的を一言で言えば、歴史を学ぶことを通して、戦場から離れたところにいても戦争が他人事ではなかった頃の人々の感情を、私たちの世代に呼び戻そうとするものだと思います。
他国で起きている出来事に対する人々の怒りや悲しみに共感し続けるのは簡単なことではありませんが、21世紀に入りグローバル化が進んだ今、自分の身の回りが平和ならそれでオッケーという感覚では、いつかその影響を避けられなくなる日が必ずやってきます。
読書して学んでいきましょう。
ウクライナの歴史

ソビエト崩壊からすでに30年以上が経ち、東ヨーロッパの国々のイメージがすっかり定着してしまったため、それらが昔から存在していたような錯覚に陥ってしまいますが、ウクライナが独立を宣言したのは1991年。
そのウクライナですが、この本を読むことで、歴史上かなり複雑な経験をしてきた国だということが理解できます。
ウクライナという国名の語源ですが、中世のキエフ大公国やポーランド・リトアニア共和国の時代、「ウクライナ」という言葉はもともと、
borderland「辺境地」
frontier「国境地帯」「辺境」
という意味を持っていました。一方で、
region「地方」
country「国」
という意味もあり、ウクライナ人にとっては後者のニュアンスが強いですが、ポーランドやロシアから見たウクライナはいまだに「辺境」としてのイメージが根強いようです。
よって、このエリアはもともと様々な集団や勢力が衝突し合う場所であり、そうした認識を持っておくべきだと、ポーランド史を専門とする小山哲さんも指摘しています。
地形的にも平原地帯で、13世紀にモンゴル軍がやってきてキエフ大公国を破って以来、ドニプロ川周辺では西から東から南から大国同士が衝突。そのなかでコサックというグループが現れ、ウクライナ民族としての独立的な精神が育っていきました。
その後もこのエリアは、西と東の大国による奪い合いを経験し、二度の世界大戦に巻き込まれるなど、休みなしの状態が続き、ソ連崩壊後にやっと落ち着いたかと思いきや、結局またロシアと西側勢力の狭間に巻き込まれることに…。
とにかくウクライナという国の位置が、歴史的に波乱に満ちた運命をたどる要因になってしまっているようです。
全面侵攻までの経過

2014年、ロシアはウクライナ南部のクリミア半島を併合しました。その後、ウクライナ東部のドンバス地域では親ロシア派武装勢力が蜂起し、ウクライナ政府軍との戦闘が始まってしまいます。
プーチンは歴史の一部を都合よく利用し、侵攻を正当化します。
例えば、かつてコサック国家がポーランドからの独立を目指しモスクワに助けを求めたことを理由に「もともとウクライナはロシアの一部」だったと主張。また、第二次大戦中にウクライナがポーランドの支配から逃れるためドイツと協力した事実を挙げ、ロシアの軍事行動の目的はウクライナの「非ナチ化」だと説明しました。
2014年のユーロマイダン革命の後、ウクライナ国内ではEUやNATOとの結びつきを強めるための動きが進んでいきます。そこで、この動きをロシアは「西側の干渉」と見なして、2021年からウクライナ国境付近に軍を集結。最終的に、2022年2月24日に全面侵攻を開始しするに至ったわけです。
以来、戦争は長期化し、ウクライナ国内では多くの犠牲者が出ると同時に、世界中で支援の声が上がっています。
「食料」という視点から見たロシア・ウクライナ戦争

もう一人の著者である藤原辰志さんは、ロシア・ウクライナ戦争を「食料」という視点から捉えて説明してくれます。
ウクライナは、世界有数の肥沃な「黒土地帯(チェルノーゼム地帯)」を持ち、そこでは「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれるほど小麦やとうもろこしが生産されています。
ところが、戦争によって農地をボロボロにされ、港が封鎖され、輸出ができなくなってしまったことで、中東やアフリカを中心に深刻な食料危機が発生してしまいました。
さらに、ロシアはウクライナの穀物輸出を妨害する一方で、自国の小麦を戦略的に利用し、食料を「武器」として使い、輸出を制限することで市場に圧力をかける戦略を取っています。
このように、この戦争は単なる軍事衝突ではなく、農業大国であるロシアが同じく農業大国であるウクライナに侵攻したとも言えます。
「他人事」?

僕がこの本を読んだのは去年の夏頃だったと思います。ロシアがウクライナに侵攻したのが2022年2月24日なので、恐ろしいことに、この記事を書いている今、戦争が始まってからもう3年が経ってしまっています。
この記事を書くに当たって、もう一度この本にサッと目を通したのですが、読んでからまだ半年も経っていないのに、当時の感動がすでに薄れていることに気づきました。

作者たちが本の中で指摘する「戦争を遠い国の出来事として捉えてしまう」という現象が、そのまま自分にも当てはまっていました。
本の終盤で、著者二人による対談のセクションがあるのですが、そこでテレビのコメントなどでよく耳にする「これは他人事ではありませんよね」というセリフの「他人事ではない」がどういう次元で他人事じゃないのか、ということが議論されています。
二人は、NATO対ロシアという大きな枠組みではなく、もっと日常的なレベルで「人間として、そんなことをやったらアカンやろ!」いう次元で「他人事じゃない」という感覚で考えないといけないと指摘しています。
個人の生活にある程度の余裕が出てくると、お互いに頼る必要がなくなり、周囲との関係が薄れがちになります。すると、社会の成り立ちを気にせず、毎日を過ごせてしまいます。
そんなふうに「どこか遠くの出来事」を気にしなくなった頃、知らぬ間に物事が進み、その「他人事」だったはずの出来事が、突然自分たちの平和な生活に襲いかかってくるのかもしれません。
21世紀に入り、グローバル化が進んだ今、世界で起こる同じ人間同士による出来事はすべて「他人事」ではなくなってきているように思います。
それではまた。
コンカズ
*この記事の英語ヴァージョンはこちらから
👉 The Essential Guide to Ukraine for Young Learners: History, Politics, and More